台祭囃子保存会の歴史

【お囃子の起源】

お囃子の起源は「建久三年、源頼朝が征夷大将軍に任ぜられた折り、鶴岡八幡宮の社前で盛大な祭祀が行われた時、その道の達人五人が選ばれ、五人囃子を奉納したのが始まりである」とも言われておりますが、本当はどうだったのでしょう?

台にある最も古い神社は稲荷神社で室町時代に作られたといわれています。ですから、もしそこでも鶴岡八幡宮と同様の演奏が披露されていたとすれば台囃子会の始まりは700年以上前ということになります。歴史的ロマンを感じるお話ですね。

 

【台のお囃子はいつから?】

さて、では実際にはどのくらい前から台にお囃子はあったのか?を考えた場合私は約年100年ほど前、明治時代のころだと思っております。というのも昭和7年生まれの父が子どもの頃に「おまえは長男でないからお囃子を教えない」と言われて大変悔しい思いをしたとの話を聞かされました。その事から推測すると昭和の初めには間違いなく台囃子会は存在しており活動をしていたことがわかります。

 

お囃子には譜面が無く、師匠から弟子に口伝等により演奏方法を伝授しなければなりません。そして小太鼓・大太鼓・篠笛・鉦とすべての奏者がそろうには相当の年月が必要となることはお囃子を習っている人にとっては周知の事実です。ですから昭和の時代に突然お囃子の演奏が始まったとは考えにくいことです。さらに台にあった数社の絵図が明治時代に作成されている事からも、そのころに神社を中心とした文化が成熟期を迎えていたように推測されます。以上のようなことから私は台のお囃子は100年ほど前に始まったものと考えております。

 

 

【記録によれば】

 

記録として残されているのは大太鼓(小さい方)に昭和20云年と書かれているものが最古になります。ですから約75年前となります。小太鼓も新旧ありますが、古い方は恐らく同じ時期に購入したものでしょう。

 


【お囃子教室はいつから始まったのか?】

お囃子教室は47年前私が10歳、小学校4年生の時に始まりました。私の父が子どもの頃のお話を書きましたが、「長男にしか教えない」という事から台ではお囃子を演奏する人がほとんどいなくなってしまっていました。小太鼓を叩ける人は45人、大太鼓が23人、篠笛は小野田専蔵さん1人だけでした。

鉦は大太鼓を叩く人が時折演奏する程度で正式に伝わってきているものはありません。

ということで大太鼓を演奏されていた(バチ回しはこの方だけができた)岩崎保さんが師匠になり子供たちが1516人ほど集められて小野田専蔵さんの作業場(専蔵さん宮大工だった。神明神社を建てたのはこの人)夏休みの期間を丸々つかってお囃子教室が始まりました。その際には「長男だけ」という縛りが無くなり次男・三男でも良く、また女の子でも良いということで大勢の子供たちが参加しました。(白黒写真左奥が私です)

 

 


【授業の内容】

師匠からの弟子への指導方法は現在のものとほぼ同じです。言葉(文句)は師匠がカレンダーの裏に墨で描いたものを見ながら、小枝で丸太をたたきます。

その当時はTVゲームもありませんし、塾に通っている子もほとんどおりません。女の子が昼間何をやっていたのか?私は知りませんが男の子の多くは昼間野球をして(私は野球ではなく江の島ジュニアヨットスクールに行かされていました)夜はお囃子教室という状態が1カ月以上続きました。(お囃子教室の後、ちょっとだけ夜遊びをしていたのは親には内緒です)

7月夏休みが始まったばかりの頃は1516人ほどいた生徒ですが、いまでいう中級クラスで習うシチョウメに入ると56人が脱落して来なくなりました。そしてお盆をはさんで8月の末までで上級クラスの神田丸に入るとさらに56人が脱落して、小太鼓を全て習得したのは56人でした。

その人数からさらに大太鼓になると23名が脱落して最終的に篠笛を伝授されたのは3人だけでした。

今と違って毎年すべての楽曲を1から教えるので1度脱落すると全て最初から習うことになり、子ともたちには厳しい世界でした。

 

 

【最後に】

日本に古くから伝わる音楽には雅楽がありますが、それに親しむことが出来る人はかなり少ないです。となると、やはりこの国の伝統音楽で最も多くの人が親しむ事ができるものは「お囃子」であると言えます。

篠笛を伝授された3人の子ども中で私は1番の劣等生でした。そんな私がいまだにこのお囃子の活動を続けている理由は、お囃子というものが単なる音楽ではなく、日本の文化を継承するうえで大きな役割を持っていると感じているからです。単に楽器を上手に演奏できるという事だけでしたら、きっとお囃子を続けていることは無かったでしょう。

 

地元の神社があり、そこでお祭りがあり、そこには多くの人々があつまり、そしてその人々が平和に楽しく暮らしている。そこには自然発生的にお囃子の音がある。私にとって台囃子会の歴史は台という町の歴史そのものなのです。

文:小野田康成